真義館は、空手を通して青少年育成に貢献しています。

稽古が「点」だった私に、麻山館長が教えてくれた「道」【空手物語②】

~強くなりたい。でも、まだ空手に向き合えていなかった22歳の私~

前回の続きです。

22歳だった私は、麻山館長と出会い、

「ただただ、強くなりたい!」

その気持ちで空手を始めました。

今振り返れば、空手との出会いは、間違いなく私の人生を変えてくれた大きな出来事でした。

しかし――。

空手を始めたからといって、私自身がすぐに変わったわけではありません。

むしろ当時の私は、まだまだちゃらんぽらでした。

今思い返すと、本当に恥ずかしい限りです(笑)。

「強くなりたい」と言いながら、稽古を休んでいた

強くなりたい。

そう思って空手を始めたはずなのに、当時の私は稽古に行ったり、休んだり。

また行き始めたかと思えば、しばらく休んでしまう。

そんなことを繰り返していました。

今の言葉で表現するなら、

「歯抜けのような空手」

だったと思います。

稽古をしている、その瞬間は一生懸命です。

汗もかく。

技も覚える。

強くなりたいという気持ちもある。

でも、続かない。

今ならよく分かります。

私は空手を「やって」はいましたが、

まだ「空手の道」を歩いてはいなかったのです。

麻山支部長から言われた「点」と「道」

そんなある日でした。

当時、麻山館長はまだ「麻山支部長」でした。

その麻山支部長から、私の稽古への取り組みについて話をしていただいたことがあります。

細かい言葉までは30年近く前のことなので正確には覚えていません。

しかし、私の心には、その時に教えていただいた意味が今でも残っています。

それは、

「空手は武道や。」

そして、

「道というものは続いていくもの。今のお前の稽古は、点、点、点になっている。」

そんなニュアンスのお話でした。

稽古に来る。

休む。

また来る。

また休む。

これでは、一つひとつが「点」でしかない。

点と点がつながっていない。

だから、

「道」になっていない。

そんな取り組みでは、武道を極めていくことはできない。

そのようなことを教えていただいたのだと思います。

「空手道」の「道」という言葉

その時の私は、すべてを理解できていたわけではありません。

それでも、

「点ではなく、道」

という言葉が、なぜか心に残りました。

考えてみれば「空手」ではなく、

「空手道」

です。

柔道。

剣道。

合気道。

茶道。

華道。

日本には「道」という言葉がつくものがたくさんあります。

「道」は、一日だけ頑張ることではありません。

昨日やって、今日はやめる。

気分が乗った時だけやる。

それでは「道」にはならない。

一日、一日。

一回、一回の稽古を積み重ねていく。

昨日の自分から今日の自分へ。

今日の自分から明日の自分へ。

その一つひとつの「点」がつながった時、

初めて一本の「道」になっていく。

当時の私は、そんなことすら分かっていなかったのだと思います。

言葉よりも、麻山館長の「姿」を見ていた

そして、私を変えていったものがもう一つあります。

それは、麻山館長自身の空手への取り組み方でした。

館長は、とにかく空手に対して真っすぐでした。

稽古に対して真っすぐ。

技に対して真っすぐ。

強さを求めることに対して真っすぐ。

中途半端ではない。

言っていることと、やっていることが同じ。

私はその姿を、すぐそばで見ていました。

当時の私は、館長のようになろうと強く意識していたわけではありません。

でも不思議なものです。

真っすぐ空手に向き合う人のそばにいると、

こちらも少しずつ影響を受けていきます。

知らず知らずのうちに、

「自分も、もっとちゃんと真剣にやらなあかんな」

と思うようになっていきました。

人は、言葉だけで変わるのではない

今、私自身が真義館で指導する立場になって、当時のことをよく思い出します。

人を育てるというのは、

「こうしなさい」

「ああしなさい」

と口で教えるだけではないのだと思います。

指導する人間が、どう取り組んでいるか。

子どもたちも、大人の道場生も、案外そこを見ています。

私自身がそうでした。

麻山館長から教えていただいた言葉も残っています。

しかし、それ以上に、

館長が何十年も空手に真っすぐ向き合ってきた姿そのものが、私にとって一番の教えだったのかもしれません。

「強くなりたい」から始まった空手

私が空手を始めた理由は、本当に単純でした。

「強くなりたい!」

最初は、それだけでした。

人格を磨きたいとか、

人生を学びたいとか、

武道を極めたいとか、

そんな立派なことを考えていたわけではありません。

しかも始めてからも、休んだり、また行ったり。

本当にいい加減な道場生だったと思います。

それでも麻山館長との出会いがあり、

空手を続ける中で、

少しずつ私自身が変わっていきました。

最初はバラバラだった「点」が、

一つ、

また一つと、

少しずつつながっていった。

そして気がつけば、

空手は私の人生から切り離せない一本の「道」になっていました。

今、真義館の若い人たちに伝えたいこと

だから私は、今道場に来ている人たちに、

最初から立派である必要なんてないと思っています。

運動が苦手でもいい。

自信がなくてもいい。

強くなりたいでもいい。

身体を動かしたいでもいい。

何かを変えたいでもいい。

最初のきっかけは何でもいいと思います。

私自身が、決して立派なスタートではありませんでした。

大切なのは、

今日の稽古という一つの「点」を打つこと。

そして、また次の稽古に来ること。

その点を一つずつつないでいくことです。

続けていれば、いつの日か振り返った時、

その点と点が、

自分だけの一本の「道」になっているかもしれません。

私自身も、まだその道の途中です。

空手道に終わりはありません。

これからも麻山館長から学び、

自分自身の空手を磨き、

そして教えていただいたものを、次の世代へ伝えていきたいと思います。

「点ではなく、道へ。」

30年近く経った今だからこそ、その意味が少し分かるようになってきました。

真義館伊丹道場 指導員
長石 学

――空手物語③へ続く。