~サンチン・ナイファンチ・パッサイ。改めて感じた「型」の奥深さ~
真義館指導員の長石 学です。
今年のお盆休み、私の空手の師匠である真義館・麻山館長にお願いして、プライベート稽古をつけていただきました。
普段は私自身が道場生を指導する立場ですが、この日は一人の空手家、一人の弟子として館長の前に立ちました。
今回、特に細かく見ていただいた型は、
サンチン。
ナイファンチ。
パッサイ。
長年、何度も何度も稽古してきた型です。
それでも今回の稽古を通して、
「型というものは、本当に奥が深い」
と改めて感じました。
何年やっても、基本に戻る
まず修正していただいたのは、サンチンとナイファンチです。
立ち方。
身体の向き。
手の位置。
力の出し方。
動作と動作のつながり。
一つひとつを館長に見ていただくと、自分ではできているつもりだったところにも、まだまだ修正すべき部分があります。
長年空手をやっているからといって、基本が完成するわけではありません。
むしろ経験を重ねるほど、
「基本とは、こんなに難しいものなのか」
と思うようになりました。
昔は「できた」と思っていたことが、今見るとできていない。
そして修正していただくと、同じ動作なのに身体の感覚がまったく違う。
これが空手の面白さでもあります。
「外形」から「内面」へ
今回、特に心に残ったのが、
型は「外形」から「内面」へ入っていく
ということです。
最初は当然、形から覚えます。
足はここ。
手はここ。
身体はこの方向。
次はこの動作。
まずは外から見える「形」を覚えなければ始まりません。
しかし、型を長く稽古していくと、それだけでは足りなくなってきます。
外から見た形が合っていても、その身体の中で何をしているのか。
どこを締めるのか。
どこを緩めるのか。
どこに意識を置くのか。
呼吸をどう使うのか。
重心をどう移すのか。
力をどこから生み出しているのか。
ここからが、本当の意味での「型」の稽古なのだと思います。
今回、館長に見ていただきながら、
「自分はまだ外形を追いかけている部分が多い」
ということに気づかされました。
サンチンは、ただ力を入れる型ではない
サンチンという型は、見た目だけを追いかけると、身体を締めて力強く動く型のように見えるかもしれません。
しかし実際に稽古していくと、それほど単純ではありません。
立ち方が崩れれば力は伝わらない。
上半身だけに力を入れても駄目。
呼吸だけを真似しても駄目。
足元から身体全体がつながり、その中で呼吸と動作が一体になっていく。
私は長年サンチンを稽古していますが、今回改めて、
「まだまだサンチンを分かっていないな」
と感じました。
同じ型を何十年稽古しても、新しい発見があります。
だから基本の型は面白いのだと思います。
ナイファンチは、シンプルだからこそ難しい
ナイファンチも同じです。
動きだけを見ると、非常にシンプルに見えます。
しかし、シンプルな型ほどごまかしが利きません。
立ち方。
腰。
重心。
身体の軸。
手と足の連動。
一つ崩れると、全体が崩れてしまいます。
派手な技を覚えるよりも、こうした基本的な動作を何度も何度も繰り返す。
空手を始めた頃と、今とでは、同じナイファンチでも感じるものが全然違います。
型が変わったのではありません。
自分自身の見方が変わってきたのだと思います。
パッサイで感じた、型の中にある「意味」
そして今回、パッサイについても指導していただきました。
型には一つひとつの動作があります。
しかし、それを単なる「振り付け」として覚えてしまえば、そこで終わってしまいます。
なぜ、この手なのか。
なぜ、この方向なのか。
なぜ、この立ち方なのか。
なぜ、ここで身体を切り返すのか。
そこには一つひとつ意味があります。
相手を想定し、その動作が何のために存在するのかを考える。
そうすると、同じ型でも見え方が変わってきます。
型は形ではなく、先人が残してくださった技術の集積なのだと思います。
その意味をどれだけ自分の身体で理解できるか。
ここに、型稽古の奥深さがあります。
指導する立場になったからこそ、習う時間が必要
私は現在、真義館で道場生を指導しています。
子どもたちにも、大人の道場生にも空手を教えています。
しかし、指導する立場になればなるほど、
自分自身が習う時間を持たなければならない。
今回、そのことを強く感じました。
教える側に立っていると、どうしても「自分は分かっている」という感覚が生まれます。
ところが師匠の前に立てば、一瞬で弟子に戻ります。
「そこが違う」
「もっとこうする」
そう指導していただけることが、本当にありがたい。
何歳になっても、
何段になっても、
何年指導していても、
師匠から学ぶことがある。
これは空手家として、とても幸せなことだと思っています。
黒帯は「完成」ではない
道場の子どもたちは、黒帯を一つの目標にしています。
もちろん、それは素晴らしいことです。
しかし、私が伝えたいのは、
黒帯になったところから、本当の空手が始まる。
ということです。
技を覚える。
型の順番を覚える。
組手が強くなる。
大会で勝つ。
それも大切です。
しかし、その先にもっと深い世界があります。
同じサンチンを何年も稽古する。
同じナイファンチを何年も稽古する。
そして、そのたびに違うことに気づく。
これこそ武道の面白さではないでしょうか。
空手から経営にも一つだけ
今回の稽古をしながら、一つだけ経営にも通じることを感じました。
会社経営でも、売上、店舗数、社員数、制度など、外から見える「形」は大切です。
しかし、空手と同じで、
形が整ったから完成ではありません。
その中にどんな思いがあるのか。
何のために仕事をするのか。
どんな人間を育てたいのか。
会社も最後は「中身」なのだと思います。
今回教えていただいた、
「外形から内面へ」
という考え方は、空手だけでなく、自分自身の生き方にも通じる言葉だと感じました。
50歳を過ぎても、まだまだ空手が面白い
若い頃は、
「もっと強くなりたい」
「試合に勝ちたい」
そんな気持ちが大きかったように思います。
もちろん、今でも強くなりたいという気持ちはあります。
しかし今は、それだけではありません。
一つの型を深く知りたい。
身体の使い方をもっと知りたい。
そして、師匠から教えていただいた空手を、次の世代へきちんと伝えていきたい。
年齢を重ねた今だからこそ分かる空手があります。
そして、まだ分からない空手がたくさんあります。
サンチン。
ナイファンチ。
パッサイ。
昔から稽古してきた型なのに、まだまだ奥がある。
だから空手は面白い。
今回のお盆休みは、改めて空手の奥深さを感じる、とても貴重な時間になりました。
麻山館長、プライベートで細かくご指導いただき、本当にありがとうございました。
指導員という立場に甘えることなく、私自身も一人の空手家として、これからも稽古を積み重ねていきたいと思います。
そして、自分が教えていただいたものを、真義館の子どもたち、道場生たちへ伝えていきたいと思います。
空手は一生修行。
まだまだこれからです。
真義館 指導員
長石 学


